概要・現況
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ごあいさつ
この度、猿沢地区振興会では「猿沢まちづくり計画書」を策定いたしました。
猿沢地区振興会(以下「振興会」)は、平成27年2月に一関市より地域協働体の認可を受け、猿沢の将来計画の策定と、その実現のために働く団体として新たな活動を始めました。この「猿沢まちづくり計画」は、振興会の重要な役割の一つで、未来の猿沢を構築するための諸問題について、地区民の皆さまにアンケートのご協力をいただき、それをもとに7回の計画策定委員会で計画素案を作成し、さらに検討を加えてまとめたもので、今後の振興会活動の指針となるものです。
今後、振興会は地区の皆さんと同じ目線で、活動の見直しや話し合う場の提供また課題解決の取り組みを円滑に進めるための窓口となり、地域コミュニティの代表組織として、人と人とをつなぐ役割を担っていきます。
まちづくりの主体は私たち住民一人ひとりです。それぞれが「夢」と「希望」を持ち、猿沢の「明るい未来」を次世代に引き継げるよう、活気あふれる猿沢を目指していきたいと思いますので、なお一層のご協力をお願いいたします。
平成28年7月
猿沢地区振興会
会長 佐山 昭助
猿沢の概要
(1)地区の概況
私たちの町“さるさわ”は北上山系の南端にあって沿岸と内陸の交易のための宿場町として古くから栄え、豊かな自然に恵まれた町です。
地名の由来は今から約900年前、奥羽地方の覇者として栄華を極めた藤原氏が大和の山容に似ており、この地に奈良の名勝「猿沢の池」に模した池を造ったことによると伝えられています。その後「猿沢池村」となり「猿沢」と呼ばれるようになりました。
徳川時代も過ぎ、明治時代に入り、胆沢県、一関県、水沢県、磐井県の管轄を経て明治9年(1876)町村制施行により猿沢村(明治11年の資料より 面積39.56km2 人口1,947人)となりました
大正14年大船渡線の開通により、経済文化の物流が向上し着実な発展を続け、昭和30年(1955)4月1日、大原町、摺沢町、興田村、猿沢村、渋民村が合併し東磐井郡大東町(面積278.71Km2 人口16,655人)となり、その後平成17年(2005)9月20日、旧一関市、花泉町、大東町、千厩町、東山町、室根村、川崎村が合併(面積1,133.10km2 人口188,578人)、さらに平成23年(2011)9月26日には藤沢町と合併し、新たな一関市(面積1,256.25Km2 人口127,642人)が誕生しました。
山あいを縫って静かに流れる砂鉄川には若あゆの銀鱗がおどり、猿沢の山なみの木々は緑あくまで深く。
“春”にはすずらんの香りと山菜を求めて山野を訪れる人の数多く。
“夏”には蓬莱山のすばらしい眺望に絶句し、蝉の声降る湯王の滝のしぶきに濡れてひとときを過ごす。
ひそかにしのび寄る“秋”は紅葉のあざやかな色づきをみせ、そこここにキノコ狩りの姿を見かける。
やがて紅葉が散り、小雪がちらつき初める頃、甲高いキジの声に驚いてしばしとまどうハンターもあるとか...“冬”の山野はまたとない狩場と化す。移り変わる四季はそれぞれの趣きがあり、変わらぬ自然が息づく猿沢。訪れる人々をふる里さるさわはいつも笑顔で迎えています。
(2)計画策定の趣旨
私たちが住む猿沢地区は、2つの国道(343号と456号)が行き交い、花と緑に囲まれており、昔から金山や神楽といった地区資源を大切に守り伝えてきました。
しかし近年は、少子高齢化・人口減少が進み地区の活気が失われつつあります。
そこで、私たち自身が地区と向き合い、見つめなおし、みんなで話し合いながら、今後猿沢がどのような地区であってほしいかを考え、地区の課題に取り組むための指針としてこの計画を策定するものです。
(3)計画の期間
この計画はおおむね5年間の計画とします。また状況の変化に応じ、随時見直しを行うこととします。
地区の現状
猿沢地区は1区~13区の行政区からなり、平成28年5月1日現在、世帯数は598世帯、人口1,805人(男893人、女912人 ※1高齢化率37.34%、※2少子率9.63%)で将来的にも人口の減少傾向が続くことが予想され、少子高齢化も進んでいます。
※1 高齢化率は人口に対する65歳以上の比率
※2 少子率は14歳以下の比率